@article{oai:waseda.repo.nii.ac.jp:00025942, author = {Sato, Yoko and 佐藤, 洋子}, journal = {早稲田大学日本語研究教育センター紀要}, month = {Mar}, note = {「文明」の「文化」は, わが国においては, 歴史的・杜会的事象と結ぴついて変容を遂げてきた.複雑かつ微妙な要素がからみ合う, 有機的統合体としての両概念が, どのような動態を示すか, 時代を追って考察する.明治期の「文明」の概念形成とその受容を, 福沢諭吉が『文明論之概略』において展開した文明論のなかに探る・次第に国家的ナショナリズムに統合されていった開化思想に対し, 酉洋文明導入法の批判が, 森鴎外夏目漱石らによってなされる.創造性開拓より文明の果実を輸入してきた日本, 外発文明の流入に翻弄される日本人の将来が洞察される.大正期は, 教養主義の色彩を帯ぴた「文化」が一世を風靡する.啓蒙思想の反動として, 哲学者によって提唱された新しい生活理念は, 高踏的性格を持ちつつ, 日本文化への学問的探求を呼びおこしていく.しかし, 昭和の時代と世相は, 恐慌からファシズムヘの傾斜と共に始まり, 国家・政治・戦争が, 「文化」を遮断していく.第二次大戦後の日本を特徴づけるものは, 平和と民主主義に支えられた高度経済成長であるが, 梅〓忠夫『文明の生態史観』は, 日本の世界における位置の理論構築から, 多角的な「日本文化論」現象を生んだ.文化人類学の立場から, 「文明」「文化」は整理統合される一方で, 日本文化特殊論の限界から, その普遍性を求める日本文明論が台頭しつつある現状を検証する.}, pages = {45--73}, title = {「文明」と「文化」の変容}, volume = {3}, year = {1991} }